No emotion

闇と厳冬

土足で踏み込もうとする人間達。

10代の後半のある日。

 

完全に大人を信じられなくなった。
それを良い事に空っぽになった大人達は、
私を振り回してきた。

 

大人の世界の雑音を、
子供に聴き続ければ、その心は崩壊する。

「私は、あなたの事を全て解っているのよ」。

 

だからこそ
そう勝手に解釈して土足で踏み込もうとする。
それは親だけが出来る特権なのでしょうけれど、
それは大間違いで、人間は個々の感情・人格があるように親も子供も人格はそれぞれ違う。

親離れ、子離れ。
完璧な理想を抱いて信じているからこそ、
“裏切り”が現実化した時に、悪党雑言を浴びせる。
信じている理想郷を違ってしまっただけ、

そのすれ違いを知って初めて、自身とは違う“考え方”をしている事を知るのです。
そして失望しては、ねちねちと、恨み節を言い続ける。

それは、身内だからこそしてしまう対応。

期待を裏切られている被害者になっているけれど

本当は、あなたが知らなかっただけ。

 

 

 

土足で踏み込もうとする人間は、かなりいる。

短時間でしか接しない他人が、

「解っている気になって」人の心を土足で踏み込もうとする。

解っている気になっているのでしょう。

 

ですが、短時間でしか付き合わないのに

あなたの全てを知っている気になっている

なんて、あまりにも飛躍している気がする。

私の歩んできた見えないレールを知った気になって自惚れて、

その心の土足で踏み込もうとする。

 

ふざけるな。いい加減にしろ。

“知っている気になっているだけ”で、本当は何も知らない癖に。

 

愚痴する生き物。

愚痴の発散法は沢山ある。

でも、一番、多いのは

 

「人は自分自身の思いを

吐き出さないと、生きていけないんだよ」

 

そうですか。

そうですか。愚痴を吐けば満足しますか?

………例え、その行為を聞き手が辛いと思っていても。

 

ずっと愚痴を吐けば、すっとするでしょう。

気分転換にもなる事でしょう。

 

いいよね。

聞き手側は、サンドバッグはうんうん、と

頷いて肯定的な意見しか述べないから。

サンドバッグは、聞き手側になるしかない。

反論したら神経を逆撫でしてしまうでしょう。

 

でもね。

あなたが延々と出口のない愚痴を吐き続ける度に

聞き手側は耳が塞ぎたくなる程の衝動に借られる事を知らないでしょう?

優しくいさめたつもりが、「聞いていない・聞く気がないんだ」と決めつけて

「もういい!!聞きたくないんでしょ!」と怒っているけれど、

 

私は聞きたくないんじゃない。

社会勉強になる事も、ご相手の心情はこうなのだと学ぶ機会もある。

 

ただね。聞き手側は終わりを切り出した。

それを頭ごなしに聞きたくないんでしょ!なんて言わないで。

そう思ってはいないから。

終わりを見つけなきゃ、過去に対して辛くなる。

 

出口のない

その話に終わりを見つけたいだけ

なのです。

吐き出さないといけないんだよ、という事も解っている。

あなたは、それだけ頑張っているから。

そのお話を聞くのは尊敬します。

 

 

大人は、不器用だ。

 

 

 

不眠症を知らしめるもの。

 

10年の悪いお付き合いの不眠症

不眠症のおかげで、心は荒み変わって、

鬱病という病も、不眠症が誘った。

 

「家系」「血は争えない」。

イビキ。

イビキを実感する度に私は、不眠症

鬱病である事を実感せざる終えなくなる。

精神的にしんどいのです。

 

イビキを聞く度に私は失望と絶望を悟る。

不眠症なんだぞ、だから眠れないんだ。

 

 

せめて自身はイビキはかきたくないよ、

と思うけれども「遺伝子、血は争えない」と

私も分からない。

 

私もイビキを書いているのなら、絶望する。

それをお酒で紛らわして、遠退かせる日々。

けれども限界は近付いているようだ。

 

「辛」と「幸」。

 

 

「辛」という時に横一本線を交えたら「幸」。

「幸」という時に横一本線を無くしたら「辛」という文字になる。

 

頭では書けると分かっている筈なのに、

指先ではそうではなくて、学生時代から

今も私は「幸」という文字が書けない。

 

漢字のテストで、「幸」の文字が含まれる単語が出てくると必ずその場所は、

私の場合「辛」になっている。

何度も訂正しても書けない理由は、

どうしても分からない。

それを、何度も繰り返した。

 

そして繰り返す私のミステイクに、怒った。

「恵まれているのに、自分を

幸せと思っていないから、書けない」のだと。

嗚呼、そういうことか。

 

私は、今も「幸」が書けない。

多分、「辛」になってしまうだろうから。

 

 

 

 

 

 

囚われの身、過去の足枷。

 

 

きっと、人の心を壊してボロボロにしても

相手は痛くて痒くもなくて、呑気に笑っている。

そして人を貶めて、

自身は息をしている事に安堵するのだ。

 

悪気なく、自身の保身の為ならば、

誰かの心を壊すなんて簡単で、呆気ない。

 

でもね。こちらは心身共に傷付いた、

壊われかけたアンバランスの身体を抱えて、

苦悩しずっと過去の記憶に囚われている。

心がズタズタにされて、心が狂って

感情すら失って。

 

相手は何も考えず、のうのうと生きている。

傷を抱えた者は、感情すら失ってしまった。

 

 

この傷は

ずっとこれからも癒える事はないだろう。

 

抜け出したい、と思っても、

あなたが残した爪痕は消えないし消せない。

過去の足枷が邪魔をしては、前を闇夜に差し出した。

前を向いてはいけない、と言わんばかりに。

 

だからこそ、

前を向きたくても、向けないのだ。

傷を付けられた年月が長過ぎるから、

その癒えようとする度に傷を付けられては

傷の回復も遅くなる。

 

心の怪我なんて、癒えないのだ。

 

過去が残した爪痕とトラウマを見ると、

病んで、病んで、あなたを憎しんで。

最後にはもうその、気力すらなくて。

泣きたくても、涙すら枯れている。

 

上から目線と、冷たい言葉。

思い出すだけでも、

反吐を催してしまうのだが過去に

何人かの人に依存された経験がある。

 

そういう人って、みんな猫なで声で、

人のご機嫌取りという名の迷惑行動を取る。

やめて、やめて、なんて言葉は聞こえず、

みんな自身の自身の自己顕示欲を満たす為に

依存先にすり寄る。

 

そうならない為に、もう二度と経験したくないからこそ

私はバリケードを張ってしまった。

人格を替える程に。

 

そして私は。

人間不振になってから、様々な変化が起きた。

「突き放す様な物言い」

「上から目線」「素っ気ない言葉」

昔とは違う。直そうとしているのだけれど

長年染み付いた癖というものは、抜けないらしい。

自分自身でも分かっている。直さなくては。

私にはそんなつもりは一切、ないのだから。

染み付いた嫌いな、悪い癖。

 

これが、今の私。

けれども直さなくてはいけない所も多々ある。

でもまた過去の縛りが、私を捕らえようとする。

変わってはいけないと。

知らないよ。論外だ。

 

あの頃は、過ぎ去ったのだから。

そろそろ気分も変えなくては、なのに………。

過去は私を捕らえて縛りたがる。

私と、変わりたい私。

 

 

 

 

不眠症と、疑心暗鬼

 

 

「そんなのだから、眠れないんだよ」

 

分かってる。

でも、疑心暗鬼にならずにはいられないの。

ずっと嘘をつかれて、裏切られてきた大人しか

見てきてないから。

 

人の言葉が信じられない。

だから物にも疑心暗鬼になっている。

 

私には、「好き」という概念がない。

全て「嫌い」から物事を見てしまう。

嫌いから始まる物事は、好きにはならない。

誰が好き、あの人は嫌い、それが人間の性なのだと思う。

けれど私は全てが「嫌い」だ。

だからこそ、その好き嫌いがわからない。

私は全てが嫌いだから。

 

こんな事を考える私は、

人間として終わっているのだと思う。

 

 

 

仕方ない癖だから。自分自身を守る為に

嘘と冷たさを装備して生きてきたんだ。

 

物事にも、人間にも、信じる事が出来ない。

人間不振、疑心暗鬼、疑念、それらを抱えて

生きる私を人は避難するけれども、

そうしないと私自身という人格が潰れてしまう。

 

「貴女は、人の話を聞かない。成長もしない」

 

勝手に言ってて下さい。

私は話が道を貫くので。干渉しないで。

それが私の人生での願いだ。