No emotion

闇と厳冬

後遺症は、

 

私は、祖母に虐待にされて育った。

身体的に、精神的に追い詰められた私は、

幼少期の記憶が皆無で、自分自身で記憶を消した。

 

祖母は大変に、世間体を気にする性格で

後遺症で身体的に麻痺が残った私を、

治ると思い込み、小学生になる前に治さなければ

いけない焦りを駈られていた。

療法士さんの前で私をぶった事もあった。

けれども、“私の麻痺が治らないもの”と宣告されてからは

リハビリも諦め、私を集中的に虐待していった。

一家の大黒柱として働き詰めだった

母がそれに気付いた時は、

なにかも遅すぎた。

 

私は

何を言われた事か、何も覚えていなかった。

 

 

大人になってから

ただ私は祖母と同じ同年代の方を見たり、

話を聞くと話を聞いたりすると、無性に心が締め付けられる。

苦しい、苦しい。でも、私の叫びは届かない。

 

母はある方からスカウトされ

老人ホームの看護師として働き始めた。

知らず知らずとも母が言葉にする、老人ホームの出来事。

しかし私にとって、毒薬の塗ったナイフでしかない。

 

忘れたい記憶を抉るナイフ。

やめて、と言って『もう言わない』というのは

一時でまた繰り返し話し始める。。。

止めて、という叫びは届かない。

このループが私を過去に引き戻して、

心を苦しめる。

 

 

醜くて、脆い。

同じ空間にいて、仮眠を取っている人。

私は窮屈な程に心が狭い人間なのだろう。
耐えられない。

どうして私は、仮眠すら出来ないのだろう。
不眠症というのを言い訳にして、比べては
心が辛くなってしまう。

同じ空間で誰かが仮眠を取っていた。
疲れているから休息なのだろう。
普段なら、自室に逃亡するのだけれど
今日はそうにも行かず。

頭が締め付けられる様に痛くて胸焼けした。
吐き気して
手を入れて喉の奥を探っても吐き出せない。
臓物を粗探しするかの様に吐こうして失敗したら、
吐けなかった。

分かってる。「醜い嫉妬」だって。
そんな自分自身に自己嫌悪して、
気持ち悪さが止まらなかった。

眠る前が一番、神経ピリピリしている。
自分自身には福交換神経があるのか、と思うほど。

眠らなきゃ、眠らなきゃ、という怒涛の思いが
心の中で巡る。
反対に福交換神経は落ち着いてくれない。
どんどん焦燥感が募るばかりで、どうにも出来ない。
私には感情を爆発させる術が分からない。

虐待と、いじめ、家庭環境を受けてきた経験から
感情表現が分からなくなってしまった。

どうすればいいのか。
そこまで騒ぐ事になるのなら、
自分自身が疲れてしまうから、自身の殻に籠る、という末路にありつく。

涙さえも出てこない。
焦燥感を抱いたまま、不眠症を憎しみ続ける。

言葉のサンドバッグになる側

 

サンドバッグが欲しいな、と思う。

 

 

言葉のサンドバッグ。

愚痴を吐いて吐いて、すっきりする側っていいなって思う。

よく話を打ち明けて、自分自身の感情を出してみて

と言われるシーンを見ると残酷だなと思うのだ。

それは両者了解していて、話し合っているのならいい。

 

 

 けれど。

一方通行で愚痴を吐いては、言葉を受ける

サンドバッグになる側はたまったものではない。

その中にトラウマ、フラッシュバックさせる

言動があってもお構い無しに相手は話す。

此方が心身的に吐血しそうなフラッシュバックの案件を容赦なくぶつける。

…………しんどい。

 

かと言ってその話は止めて、と言ったら

逆ギレされて、心は狭いのね、なんて

言われたらもう駄目だ。

 

当人は愚痴を吐いている間は、

相手の事なんてどうでもよいのだ。

一方通行の言葉のサンドバッグはすっきりするかも知れないけれど

受ける側の精神的ダメージはかなりきついのだ。

 

 

 

 

感情のない世界。

携帯のバッテリー、残り5%だけど思いを綴るよ。

 

 

私はある人に、自分自身の人生を台無しにされた。

奴は笑顔を浮かべてのうのうと生きてる。。。

 

目覚めた瞬間、絶望する。

そして早く自分自身の寿命が尽きるようにと

願うのだ。

 

私には“感情”というものがない。

心なんて壊れたのだ。喜怒哀楽、

全ての感情を受け取って表現する等、もう私には出来ない事だ。         

嬉しさも悲しみもない。

怠い、それだけ。

 

誰かが、私に殺した感情。

私自身が殺した感情。

訳が分からない。

周りの理解のない世界

私の周りには

(不眠症、鬱に対しての)理解者がいない。

自分自身では笑ってしまう。

 

「いつか、治るよ」

 そう言われる度に、何かを壊したくなる。

何も知らない癖に。貴女はそうじゃない、

傍観者の癖に。

 

何も分かっていない奴、知ったかぶりの奴に理解も同情もされたくない。

本当の苦しみを知らない癖に。

 

「外の世界に出て、人間関係でも」

 

 

は?

私は最重度の人間不信だ。

誰の事も信じられないし、信じたくない。

その人格形成に携わって、容赦ない言葉の刃物で、人の心と性格を壊したのは誰だ?

 

そんな奴らが一人前に解った口を言わないで。

ただ傷口を広げてまた、心に刃物を刺すだけだ。

皆、偽善者の癖に。    

 

愛情なんて要らない。

睡眠を返してよ。眠らせてよ。 

許されないのは解っているよ。

 

ただ、 睡眠を返して。

この不眠症という恐怖から断絶させて。

もう疲れた、○にたい。

 

 

 

本当に哀しい時、

涙すらも枯れるのだ、と知った。

 

 

不眠に取り憑かれて。

 

私が不眠症になったのは、

11才の誕生日を迎える前の事だった。

それからはずっと不眠に取り憑かれている。

 

きっかけは、

有り過ぎて分からなかった。

それらを周りからは思春期だから、と片付けられた。

 

17歳になる年、私は初めて

一人で心療内科に通い始めた。

先生はとても優しい穏和な良い人だった。

 

不眠症によるうつですね。

よく眠れなかった日には気分が沈みませんか?」と

告げられた。

 

そうだ。

私は確かに眠れなかった日は、

気分の浮き沈みが激しい。ようやく

自分自身、己の身の程が解った時だった。